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2011年12月

2011年12月13日 (火)

涼風家シネマクラブ■1980(イチキューハチマル)

監督・ケラリーノ・サンドロヴィッチ
キャスト/ともさかりえ、蒼井 優、犬山イヌコ、及川光博、田口トモロヲ、ほか。

 80年代に対する再評価がじょじょに高まっている。今回取り上げる映画『1980(イチキューハチマル)』もそんな80年を舞台にした作品。1980年12月9日、ジョン・レノンが殺された翌朝から大晦日までの、ある三姉妹を描いた映画なのである。
 監督はその80年代に「ナゴム・レコード」というインディーズレーベルの先駆け的なメーカーで「筋肉少女帯」や「たま」といったバンドのプロデュースをし自らも「有頂天」というパンクバンドで活動していたKERAことケラリーノ・サンドロヴィッチ。これが監督第一作となる。ケラは「有頂天」以後も「劇団健康」や現在の「ナイロン100℃」の作・演出家でもあるので、満を持しての映画進出といったところ。
 小道具など80年12月までに存在したものだけですべてを構成した(1部演出意図からその限りではないものもあるが)のもこの監督ならではのこだわり。
 出演は、元アイドルでメチャクチャに男に惚れっぽくすぐに寝てしまう次女をともさかりえが、高校生の三女を蒼井優がそれぞれ好演し、長女で高校教師を犬山イヌコがナチュラルに演じている。ほかにともさか演じるキリエの元マネージャーに田口トモロヲ、ともさかがアイドルになるきっかけを作った歌手役に及川光博などが出演している。
 監督は80年代をポジティブに捉え直したい、再評価したいということを言っているが、これまで80年代といえば不毛なイメージで語られることが多く、再評価したいという気持ちはケラ以外にも強く思っている人は多いだろう。とくに80年代の初期というのはまだまだ評価に値するものがあったハズだ。映画の中でもモチーフとして使われるテクノポップな音楽やファッション、ウォークマンの登場といった文化など80年代が生んだものは少なくはない。
 とはいえ、この映画にとって80年という時代設定が本当に必要だったかはちょっと疑問。その時代を生きたものによるノスタルジーの域をあまり出ていない感もあったりする。けっきょくその時代に生きていなかった人々によって評価されるのを待つしかないのかもしれない…。

「微熱」03年 月号掲載

2011年12月10日 (土)

涼風家シネマクラブ■REC・レック

監督・脚本/ジャウマ・バラゲロ、パコ・ブラサ
キャスト/マニュエラ・ヴェラスコ、フェラン・テラッツァ、ホルヘ・ヤマン、カルロス・ラサルテ、ほか。
2007年/スペイン/77分[R-15指定]

 スペインのローカルテレビ局の番組「眠らぬ街」の取材のため、女性レポーターのアンヘラとカメラマンのパブロは、消防署に来ました。署内のさまざまな場所を撮影し、消防隊員たちにインタビューしていくアンヘラ。ちょっと退屈だけど、いつもどおりの仕事を淡々とこなしているうちに、署内に出動のサイレンが鳴り響きます。火事ではなく、アパートの部屋に老女が閉じ込められたということで署員たちに同行し、現場に駆けつけるアンヘラたち。
 建物に入ると住民たちは一階のエントランスに集まっています。問題の老女の部屋は2階だと聞いて、署員や警官たちと現場の部屋に入っていくと、暗い部屋で錯乱状態になっている老女を発見。けれど、部屋の外に連れて行こうとすると、老女はいきなり警官に襲いかかり噛みついてきます。喉をかまれ重傷を負った警官を一階に下ろすと、住民たちが外からドアを閉められていると騒いでいます。いったいなにが起こったというのでしょか。
 重症の警官を、住民のひとりでもある研修医が手当てしていると、老女の部屋に残っていたひとりの消防署員が階段の上から落ちてきます。顔にひどい傷を負っていて、こちらも重傷。しかし建物の外ではなにやら警察車両などが包囲を始め、いよいよ中の人々を出そうしません。
 残った警官と消防署員のふたりが老女の部屋を改めて見に行くと、暗い部屋の奥から、また老女が飛び出し、襲いかかってきます。思わず拳銃で老女を射殺してしまう警官。
 どうにもならない閉塞感の中、外からの情報が入り、伝染病の疑いが建物の内部にあるというのです。しばらくして防疫隊員が入ってくると、重傷を負った警官と消防隊員を手錠で拘束し、なにかを注射するのをカメラは見ています。その直後、重傷を負って虫の息だった警官がむくっと起き上がり、研修医に襲いかかります。
 閉ざされた建物内で起こる地獄のような出来事を、カメラは記録し続けます。未知の病原体による人体の変貌の謎は映画でぜひ!

2011年12月 9日 (金)

涼風家シネマクラブ■宇宙大怪獣 ギララ

監督/二本松嘉瑞
キャスト/和崎俊哉、ペギー・ニール、フランツ・グルーベル、原田糸子、柳澤愼一、岡田英次、藤岡弘、ほか。
1967年/88分/日本

 東宝のゴジラ、大映のガメラ、そして日活のガッパと共に松竹が生んだ怪獣がギララだった。監修にはSF作家の光瀬 龍がクレジットされている。
「ギララ」という名前は公募されたもので、全国の子供たちからの応募作品の中から選ばれた(劇場予告では命名式の様子も報じれた)。
 結果的にこのギララも日活のガッパもシリーズ化はされなかったが松竹唯一の怪獣映画として知られることにはなった。
 ギララの造形はかなりユニークで秀逸なものだった。宇宙怪獣という特性もあるが鳥類的なデザインはゴジラやガメラとの差別化からくるアイデアだったのかもしれない。これはガッパにもいえることだ。
 ストーリーは火星探査に向かうスペースボートの発進から始まる。当初は火星探査に向かう宇宙船が謎の飛行物体に妨害されているという事実から、今回のスペースボートも妨害にあい月基地に避難し、再び火星を目指すが、今度は隕石群と遭遇し、直後ロケットのエネルギーを吸い取る発行物体が付着していることを発見。火星探査を中断し発行物体を地球に持ち帰る。そしてその発行物体の中からギララが生まれるというものだ。
 発電所などのエネルギーを吸収し、関東地方全域を壊滅させるギララ。ギララを倒すヒントがギララが生まれた殻にあると考えた主人公たちは真空中で研究するため、ふたたび月基地へ向かう。
 地上を破壊するギララに対しあらゆる兵器は通用せず、ギララニウムという対抗物質が月から届くのを待つしかないという状況の中、月基地を発信するスペースボート。果たしてギララを倒すことができるのだろうか。
 
 結果的に火星探査を邪魔する謎の飛行物体の正体は明らかにはならず中途半端な感は否めない。またエネルギーを求めて地上を破壊するギララだが、エネルギーを吸収しているシーンはなく、ただ街を破壊したり、攻撃してくる戦車や戦闘機を破壊するだけというのも残念な気がする。特撮のレベルとして、当時の他社作品に劣っているとは思わないが、なにを見せるべきかという点では誤解があったのかもしれない。特撮のステージも狭かったのかスケール感に乏しいというのも惜しい。
 ギララという怪獣の造形がいいだけにそれを活かしきれていない印象がなんとももったいない気がしてしまう。また緊迫した雰囲気のストーリー展開にあって、劇中繰り返し流れる主題歌のメロディーが合っていないと感じるのはわたしだけだろうか。
 
 ギララは本作のあと「寅さんシリーズ」の中でフィルムが流用されたほか、『ギララの逆襲』として2008年に復活した。

 

2011年12月 8日 (木)

涼風家シネマクラブ■サイドカーに犬

監督/根岸吉太郎
キャスト/竹内結子、松本花奈、古田新太、谷山 毅、ミムラ、トミーズ雅、椎名桔平、ほか
2007年/日本/94分

 竹内結子がこれまでのイメージとは違う役を演じて話題の作品。ということなのですが、すみません竹内さんのほかの作品を見ていないので、どこが違うのかわかりません。でも彼女の演じるヨーコさんはすごく魅力的でした。舞台は20年前なのですが、イマドキでかつ優しさを持った女性です。
 主人公の薫は弟と両親の4人暮らしですが、ある夏の日、突然母が家出をしてしまい、父の愛人らしいヨーコさんが、食事などの世話をしにやってきます。
 どちらかと言えば厳しかった母とは正反対な性格のヨーコさんに戸惑いながらも、母と姉の中間のようなヨーコさんに惹かれていく薫。夜の街を散歩したり、自転車の乗り方を教えてくれたり、もう母が帰って来なかったとしても、ヨーコさんがいればいいとまで思うようになっていきます。
 原作はこの作品で文学界新人賞を受賞した、長島 有。
 椎名桔平やトミーズ雅といった味のある俳優も顔を出していて、映画にスパイスを与えています。
 成長した薫には、ミムラ。小学生当時の、刺激的な夏休みを回想するというものなのですが、ヨーコさんを通して、薫自身も成長していくようすが描かれていきます。子供のころの、忘れられないひと夏があるのはいいですね。

2011年12月 7日 (水)

涼風家シネマクラブ■フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ

監督/本田猪四郎、特技監督/円谷英二
キャスト/ラス・タンブリン、水野久美、佐原健二、ほか。
1966年/88分/日本

『フランケンシュタイン対地底怪獣』の続編として知られる本作は、内容的には姉妹編にあたる。というより『フランケンシュタイン~』の別ヴァージョンといってもいいだろう。
フランケンシュタインの存在自体は前作に準ずる設定と思われるが、研究所を逃げ出したあとはその行方は知れず、サンダとして姿を現す。また海で成長したガイラはサンダの体の一部(細胞)が成長した姿である。サンダとガイラは兄弟として紹介されることが多いが、実際には自身のクローンとも言うべき存在なのである。
 ところで、海外版では「フランケンシュタイン」という名詞は登場しない(ガルガンティスと呼ばれている)。これは造形も含めて版権の問題からユニバーサル映画の「フランケンシュタイン」が使えなくなったことに関連するのだろう。また主演もニック・アダムスからラス・タンブリンに変わり、日本のキャストも高島忠夫から佐原健二に変わっているので、正当な続編として作られなかったのはむしろよかったのかもしれない。
 前作では心優しいフランケンシュタインに対して人食いのバラゴンという図式だったが、今回はガイラが人を食うシーンが何度か登場している。
 本作は人間型のサンダとガイラの格闘に加え、レーザー殺獣光線というスーパーウェポンの登場が見どころ。やはり東宝特撮映画ではこのようなスーパーウェポンが登場してこそという気がする。
 今回もサンダとガイラの生死は不明のまま、海底火山の爆発に巻き込まれて姿を消すことになるのだが、この海底火山、最後の最後でいきなり爆発するのは前作の大ダコなみに唐突すぎてしまう。むしろ最初にそのような兆候を出しておけばガイラが現れるキッカケにもなってよかったのではないだろうか。
 そうそう、大ダコも今回再登場している。今回はカットされることのないファーストシーンでの出演で、ガイラとの格闘も観られる。
 当初はゴジラとの対戦も企画に上がっていたフランケンシュタイン。そのような映像も観てみたかった気もする。

2011年12月 6日 (火)

涼風家シネマクラブ■サッド ヴァケイション

原作・脚本・監督/青山真治
キャスト/浅野忠信、石田えり、宮 あおい、板谷由夏、中村嘉葎雄、オダギリ ジョー、、ほか
2007年/日本/136分

 幼いころ、自分と父親を捨てて母親が出て行ったことで、母を憎んでいる男が、偶然、母を見つけます。
 母は運送会社の社長の妻として、幸せそうに暮らしていましたが、息子と再会して、そこで働くように勧めます。
 ここの葛藤はあるものの、運送会社で働き始め、社長である母の夫、ふたりの息子、社員たちと過ごしていく主人公。
 どこかひょうひょうとした人物を浅野忠信が演じ、適度な緊張感を映画に与えている感じがします。
 また女性の方には、オダギリ ジョーの共演も注目では? 前科者など社会復帰を助ける意味で、そういった人たちを雇っている運送会社の中にあって、ひとり孤独でクールな雰囲気を漂わせているオダギリ。浅野演じる主人公にも「なにか裏があるんでは?」という疑問を持っていたりします。
 そして母親役の石田えり。夫と子供を捨て、各地を転々とした末に、いまの夫と結婚しているわけですが、そういったことを息子に責められても受け流し、むしろこれからは親子いっしょに暮らそうと、強く勧める姿は、女として、母親としての強さなのかな、と感じました。
 またこの作品は、監督の「北九州サーガ」の集大成的な作品で、全編が北九州ロケです。10年の構想期間を経て実現した、人の生き方の物語と言っていいでしょう。
 上映時間は2時間16分。長い映画だあ、とそれだけ聞くと思われるかもしれませんが、見ているとまったくそんな感じはせず、むしろ「もう2時間以上経ったの?」という気がします。
 ベテランや個性派俳優が周りを固めていますが、それがイヤミにならず、自然な形でまとまっているのも映画を退屈にさせていない理由かもしれません。
 個人的には、前半で浅野と知り合い恋に落ちる板谷由夏のシーンが気に入りました。映画全体ではちょっと雰囲気の違うシーンといえなくもありませんが、板谷演じる女性の可愛さが感じられるシーンだと思います。劇場ではもちろん、DVDでも繰り返し鑑賞したい作品ですね。

2011年12月 5日 (月)

涼風家シネマクラブ■フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)

監督/本田猪四郎、特技監督/円谷英二
キャスト/ニック・アダムス、水野久美、高島忠夫、ほか。
1965年/94分/日本

 本作はもともと『キングコング対ゴジラ』に続く、対ゴジラ作品として企画がスタートしたもので、紆余曲折ののち本作が完成した。またエンディングを始め複数のシーンで追加や削除といった編集されたヴァージョンがあり、いわゆる国内版と海外版というヴァージョン違いが顕著な作品でもある。
 前半では、冒頭のシーンを含めフランケンシュタインが登場する映画にふさわしい怪奇色が濃厚な演出となっていて、すでに子ども向けになっていた「ゴジラシリーズ」とは一線を画する仕上がりと言っていいだろう。
 フランケンシュタインは不死身の怪物であり、タンパク質の供給さえあれば体の一部であっても生き続けることができる。また本作では最初心臓だけだったものが人間の姿にまで成長するのだが、この心臓はフランケンシュタイン博士によって作られた怪物のものであり、つまるところユニバーサル映画に登場したフランケンシュタインの怪物の心臓から復活したものという設定になるわけである。
 異常な成長力があり通常の人間よりも巨大になったフランケンシュタインは研究所を逃げ出し、家畜を盗んでは食べながら山間地を選んで北上していく。故郷であるフランクフルトに近い環境を求めるように。
 また一方で人を襲う怪物が現れ、人々はそれをフランケンシュタインの仕業と思いフランケンシュタインに恐怖と憎しみを抱いていく。
 ただ体が大きく力が強く、その本能から家畜を襲い食べてしまうフランケンシュタインに同情と愛情をもって接するのは育ての親でもある水野とニックであり、ふたりと行動を共にしながらフランケンシュタインを研究材料としかみない高島との立場の違いも、オトナの鑑賞に堪えうる演出となっている。
 ところで公開当初、ラストシーンはバラゴンを倒したフランケンシュタインも地殻変動のため地面に飲み込まれてしまうエンディングだったが、もともとバラゴンを倒した後に登場する大ダコと格闘し、海中に没するエンディングが用意され、撮影もされていた。のちにテレビ放映された際、この大ダコのシーンを含めたものが使われたため、これを海外版と呼ぶのが一般的になったのだが、実は海外で公開された際も大ダコの登場しないヴァージョンだったようだ。
 実際、山中でバラゴンを倒した後、山の中に大ダコが現れるというのはどうにも納得のいかない設定ではある。そのまま海に落ちるので海が近いのは確かなのだが、そのシーンになるまで海が近いことには全く触れていないし、いくら海が近いとはいえタコが陸に上がってフランケンシュタインに襲いかかるのもどうかと思う。そういう意味では大ダコが登場しないヴァージョンのほうが素直に観られるのではないだろうか。
 フランケンシュタインのメイクはユニバーサル版を基本にしながらアレンジを加えた好感の持てるもので、バラゴンの造形もいい。今回改めて鑑賞してみて金子監督の『GMK』に登場したバラゴンが本作のオリジナルを忠実に再現していたことに気がついた。

2011年12月 3日 (土)

涼風家シネマクラブ■さよなら、さよならハリウッド

監督・主演/ウディ・アレン
キャスト/ティア・レオーニ、トリート・ウィリアムズ、ほか
2002年/アメリカ/113分

 ウディ・アレンといえばニューヨーク、マンハッタン。今回もニューヨークを舞台にした映画である。
 かつてはアカデミー賞も獲ったことのある映画監督だが、その性格から現在はCM撮影すらまともにできない主人公のヴァル。そんな彼にハリウッドの大手映画会社から話題作の監督としてオファーが入る。それは元妻・エリーがプロデューサーとして彼を推薦したことで実現したことであったが、映画会社の社長はエリーの現在の恋人で、ヴァルからエリーを奪った張本人でもあった。
 イロイロな葛藤の末、監督を引き受けることになったヴァルだが、クランクインの前日、ストレスから視力を一時的に失ってしまう。右腕のエージェント、アルの助言もあって周囲にそのことを隠して監督をするヴァルだったが…。
 笑って泣けてホッとする、そんなウディ・アレンのスタイルが今回も遺憾なく発揮された作品だ。
 腕はいいがワガママで、有能な補佐がいないといい仕事ができない主人公を軽妙に演じるウディ。そんな彼を信じて助け、ときには叱るエリー。ふたりはいつしかかつての夫婦のように、いや恋人に戻っていく。 映画の中で映画の撮影が進むという、劇中劇のような部分もあるが、ウディが演じるウディといった印象で、現実と虚構が混じり合っていく印象もある。
 それにしても、このウディ・アレンという人、観ている人を楽しませるということに関しては本当に天才である。いつのまにか映画に引き込まれて大笑いしたりホロっとしたりしてしまっている自分に気づく。大げさに笑わせようという演出ではなく、日常的な動きや言葉に笑わされてしまうのだ。またそれと同じように主人公の恋愛に引き込まれて行ってしまう。映画は、映画を見ているあいだ、日常のすべてを忘れて映画の中に飛び込んでしまうものだが、ウディの作品はまさにそんな印象があるのではないだろうか。
 疲れている人にはぜひ観てほしい。

2011年12月 2日 (金)

涼風家シネマクラブ■モスラ

監督/本多猪四郎、特技監督/円谷英二
キャスト/フランキー堺、小泉 博、ザ・ピーナッツ、香川京子、ジェリー伊藤、ほか。1961年/101分/日本

 ある意味ゴジラよりもそのイメージが固定してしまっているのがモスラではないだろうか。本作はその初登場作品である。
『ゴジラ』『空の大怪獣ラドン』に続いて制作された本作の原作は中村真一郎、福永武彦、堀田善衛の合作(連作)による。
 ティラノサウルス型のゴジラ、翼竜のラドンなど爬虫類・恐竜のイメージから離れ、モスラは巨大な昆虫になった。卵から幼虫が誕生し、繭を作って成虫になるというモスラの変化も本作のアピールポイントになっていた。
 またファンタジックな世界観を打ち出し女性を中心にしたファミリー層の観客も意識したようだが、フランキー堺やザ・ピーナッツなどのキャスティングにもそれはうかがえる。
 それにしてもフランキー堺の存在感は大きい。確かにモスラの映像はそれなりにインパクトもあり、登場シーンも少ないわけではないのだが、ドラマシーンの印象が格段に強い。加えてザ・ピーナッツの歌がそれを後押しする形でドラマを盛り上げる。また『ゴジラ』では山根博士や芹沢博士の苦悩には触れられていたがもうひとつ踏み込めていなかった感があったが、『モスラ』では登場人物たちの心情もそれぞれに描かれているように感じられた。
 モスラはインファント島の住民、そして意志を通じ合える小美人(ザ・ピーナッツ)を守護するという本能から、目標を達成するために都市を破壊してしまう。インファント島は原水爆実験場となったわけだが、モスラ自体は核エネルギーによって巨大化したり狂暴化したわけではない。作品冒頭には原水爆実験の放射能について触れてはいるものの、小美人の登場以後はそれは一気に押しやられてしまってもいる。
 とはいえ明確な「世界平和」のメッセージを持つ本作はその後の「モスラ」という怪獣のイメージへとつながっていたと思われる。しかし『モスラ対ゴジラ』『ゴジラVSモスラ』が本作のストーリーをなぞったような作品になってしまったのはどうにも不可解という印象はある。それだけ本作が「モスラ」に与えた印象、メッセージ性が強かったということなのかもしれない。

2011年12月 1日 (木)

涼風家シネマクラブ■スターダスト

監督・製作・脚色/マシュー・ヴォーン
キャスト/クレア・デインズ、チャーリー・コックス、ロバート・デ・ニーロ、ミシェル・ファイファー、ほか
2007年/アメリカ/128分

 イングランドの田舎町、ウォールは、その名の通り「壁」に囲まれています。そして村の若者はその壁を越えて、ストームホールドという異世界に入っていき、ひとりの女性と出会い、また村に戻ってきます。そして数か月すると、若者の元に、壁の向こうから赤ん坊が届けられるのでした。トリスタンと名付けられた男の子は、すくすくと成長し、やがて村の女性、ヴィクトリアに恋をします。しかしライバルがヴィクトリアへのプロポーズのために指輪を買いに行くと聞くと、ちょうどその時に落ちた流れ星を取ってきて、ヴィクトリアに捧げると誓い、トリスタンもまた、壁を越えてストームホールドへと旅立っていくのです。
 ストームホールドでは、流れ星は人の姿をしていて、美しい女性です。そしてその流れ星の心臓を狙って、魔女が暗躍をはじめます。同時にストームホールドでは王が亡くなり後継者争いのため、王の子供たちが殺し合う、凄惨な権力争いが起こっています。そして王としての印であルビーが流れ星の手にあることで、魔女、王子が流れ星を追い求めることに。トリスタンは、流れ星を連れてヴィクトリアが待つウォール村に帰ろうとするのですが、数々の苦難困難に巻き込まれていきます。果たしてトリスタンは、ヴィクトリアの誕生日である一週間後までに村に帰れるのか、魔女や王子たちの魔手から、流れ星を守れるのか、ハラハラドキドキの展開で、時間を忘れて映画の中に没頭してしまいます。
 ファンタジー映画もたくさん作られていますが、この作品はその中でも異彩を放っています。異世界や魔女が登場するあたりは、ほかの映画とも似ていますが、それでいて肌合いが違うというか、新しさを感じさせます。また映像的にも、アニメのジブリ作品を実写化したような雰囲気にあふれていて、150年前のイギリスという舞台設定とも合っています。ロバート・デ・ニーロ演じる海賊のキャラクターも、見逃せませんよ!

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