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2014年9月

2014年9月30日 (火)

涼風家シネマクラブ■ファクトリー・ガール

涼風家シネマクラブ■ファクトリー・ガール

監督/ジョージ・ヒッケンルーパー
キャスト/シエナ・ミラー、ガイ・ピアース、ヘイデン・クリステンセン、ジミー・ファロン、ほか
2006/アメリカ/91分

 1960年代後半、アンディ・ウォーホルのアトリエ「ファクトリー」に、ひとりの女性がやって来た。ウォーホルは彼女に夢中になり、当時制作していた映画に次々と彼女を出演させていく。注目を浴びた彼女は、ヴォーグやライフの誌面を飾った。
 彼女の名は、イーディ・セジウィックという。カリフォルニア州サンタバーバラの旧家に育ち、画家を目指してニューヨークにやってくると、ウォーホルと出会い、ファクトリーの活動に参加する。当時、ウォーホルの作品が認められ始めたこともあり、イーディはファクトリーのミューズとして世間の注目を浴びることになっていく。
 ファクトリーは自由な創作空間であるがゆえに、保守的な人々からは堕落した集団と見られることもあった。その要因のひとつがドラッグだ。
 イーディもドラッグに溺れていってしまう。なにか行動を起こせばメディアが取り上げるような立場になった彼女だが、自身の経済状態は火の車。父親からの援助も打ち切られてしまう。ウォーホルやファクトリーとの関係もしだいに悪くなっていくのだが、そこには新に出会ったミュージシャンとの恋があった。
 当時はずいぶんと騒がれた女性だったと思うが、その活動期間が短かったことと、主な活動媒体がウォーホルの実験的な映画ということで、現在ではあまり知られていないのではないかと思う(不勉強な自分も知りませんでした。ウォーホル自体好きではなかったしネ)。
 イーディは、ドラッグ中毒のため入院し、回復して結婚もしたが28歳という若さで亡くなった。誰が悪いということでもなく、ひとりの若い女性が選択を誤ったということなのだろうけど、誰も彼女を救えなかったというのがいかにも残念で、やりどころのない気持ちで胸が痛くなった。
 今回、当時の雰囲気を再現するためにファッションもビンテージものを使用。取材によりファクトリーも忠実に再現されている。


2014年9月29日 (月)

涼風家シネマクラブ■プライスレス~素敵な恋の見つけ方

涼風家シネマクラブ■プライスレス~素敵な恋の見つけ方

監督/ピエール・サルヴァドーリ
キャスト/オドレイ・トトゥ、ガド・エルマレ、マリー=クリスティーヌ・アダム、ヴァーノン・ドブチェフ、ほか
2006年/フランス/105分

 ホテルのウェイターをしているジャンは、深夜にひとりでバーに入ってきたイレーヌと出会う。彼女はジャンを客のひとりと勘違いし、そのまま夢のような一夜を過ごすことに。それから一年。イレーヌがまたホテルにやって来た。彼女を忘れることができなかったジャンは、また客を装い彼女と一夜を共にするが、それがイレーヌの恋人にバレて彼女は捨てられてしまう。ジャンを頼ろうとしたが、彼がただのウエイターだとわかるとそのまま姿を消してしまうのだった。
 ホテルで失敗し職を失ったジャンは彼女を追ってコート・ダジュールへ。彼女のために高級ホテルに部屋を取り、バッグや靴を買い与えるが、すぐに貯金は底を尽き、彼女も去ってしまう。そこに彼を拾う金持ちの女性が現れた。
 バーやパーティーで金持ちを誘惑し玉の輿を狙うイレーヌ。彼女と同じように金持ちの愛人になってホテル暮らしを始めたジャン。いつしかふたりは同業者になっていくのだが…。
 本当の愛にお金は必要ないというあまりにも古典的なテーマでありながら、軽妙な演出で楽しませてくれる映画。イレーヌを見習ってジゴロを演じるジャンに、思わずニヤリとさせられます。

2014年9月28日 (日)

涼風家シネマクラブ■みえない雲

涼風家シネマクラブ■みえない雲

監督/グレゴール・シュニッツラー
キャスト/パウラ・カレンベルク、フランツ・ディンダ、ハンス=ラウリン・バイヤーリンク、トーマス・ヴラシーハ、カリーナ・ヴィーゼ ほか
2006/ドイツ/103分

 ドイツの田舎町に住む普通の女子高生ハンナ。ちょっと風変わりな転校生、エルマーが気になる女の子の日常を、追いながら映画は始まる。ティーンエイジャーのラブストーリーかと思っていると、突然物語は急転。試験を抜け出して、誰もいない視聴覚室でキスをしていたハンナとエルマーの耳に、原子力発電所の警報が聞こえてくる。
 教室に戻って避難しようとするふたりを、教師は「訓練だから」と止めようとするが、やがて校内放送でも原発事故発生のアナウンスが。
 映画は一転してパニック映画のような様相となり、街を逃げ出す人々を映し出していく。
 自宅に戻る途中で、風の方向を確かめて、「原発に近い街は今ごろ全滅だ」とうそぶくクラスメイト。しかしハンナの母は出張で、その街に行っていたのだった。幼い弟が待つ家に戻り、とりあえず地下室にこもることを決めるのだが、心配していた母からの電話で「今すぐ駅に行って列車に乗りなさい」という指示。が、電話はすぐに切れてしまった。エルマーが車で迎えに来るという約束もあり迷うハンナだったが、弟と自転車で駅に向かうことに。
 道は封鎖され、車で駅に向かっていた人たちで渋滞が起こり、警官隊といまにも衝突しそうな雰囲気。裏道に回って駅に向かうハンナたちだが、幼い弟は事の重大さを理解せず「疲れた」「暑い」とすぐに止まってしまう。
 背後には放射能を含んだ黒い雲がゆっくりとハンナたちの方向に迫ってきていた。もう一刻の猶予もないのだ。
 チェルノブイリの原発事故直後に発表された小説を原作としたこの映画は、すべての原発保有国に身近なテーマであると共に、忘れてはならない危険が、すぐそこにあることを教えてくれる。いつもと変わらない日常が、一瞬にして非日常に変わる瞬間を、見事に描いた作品だ。
 ハンナはエルマーに会えないまま放射能雨に打たれる。ふたりの愛の行方は?

「微熱」2月号掲載/セブン新社刊


2014年9月27日 (土)

涼風家シネマクラブ■やわらかい手

涼風家シネマクラブ■やわらかい手

監督/サム・ガルバルスキ
キャスト/マリアンヌ・フェイスフル、ミキ・マノイロヴィッチ、ドルカ・グリルシュ、ほか
2006年/イギリス、フランス、ベルギー、ドイツ、ルクセンブルグ/103分

 マギーは難病の孫の治療費のために家を売り、アパート暮らしを始める。息子夫婦も治療費の負担が重く、新たな借金も断られる状況だったのだ。そして医者は、オーストラリアの病院での先端の治療法を勧め、孫の体力を考えると4週間以内に転院しなければ、と言う。
 治療費はかからないが、家族の滞在費や旅費は自己負担しなければならない。しかしすでに多額の治療費のために財産のすべてを投げ出していたマギーたちには、その資金がなかった。
 職業スキルもなく、年齢的にも就職の道はないと、ハローワークで言われ、絶望の中ふらふらと街を歩いていたマギーの目に「ホステス募集」の張り紙が飛び込んで来た。藁をもすがる思いで店に入り、面接を受けるマギーだったが、そこが風俗店であることを知り、いったんは仕事を断って帰宅する。しかし孫の病気を治したいという一心から、その店で働くことを決意するのだ。
 店での仕事は「手コキ」。壁の穴から客が差し込んでくるおち○ち○を手でしごいてイカせるのだ。
 たぐいまれな「やわらかい手」を持つマギーは、やがて男たちの人気となってゆく…。
 映画の中で、風俗店店長のミキは、「日本式だ」と言っている。昔日本で流行った「のぞき部屋」が元になっているのかもしれない。
 映画の舞台が風俗店で、主人公が風俗嬢とくれば、エッチなシーン満載な、それを主眼とした内容と思ってしまうかもしれませんが、この映画は、家族への愛と、主人公自身が自信を取り戻していく過程を描いている、感動作品なのです。
 マギーをはじめ、登場する人物達を理解させてくれる、自然な流れでのセリフは説明臭くなく、脚本のすばらしさを感じさせます。
 マギーを演じるマリアンヌ・フェイスフルは60年代に歌手デビュー。ミック・ジャガーの恋人でもあったが、ドラッグ中毒から一時は引退状態にもあった。女優としても活躍しており、近年ではソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」でマリア・テレジア役を、監督に請われて演じている。


2014年9月26日 (金)

涼風家シネマクラブ■ラッキー・ナンバー7

涼風家シネマクラブ■ラッキー・ナンバー7

監督/ポール・マクギガン
キャスト/ジョシュ・ハットネット、ブルース・ウィルス、ルーシー・リュー、モーガン・フリーマン、ベン・キングズレー、スタンリー・トゥッチ ほか
2005年/アメリカ/111分

 仕事をクビになり、恋人に浮気をされたスレヴンは、友人を頼ってニューヨークにやって来た。が、着いたとたんに強盗に顔を殴られ、身分証明書を奪われてしまう。さらに友人の家には誰もいない。そこに砂糖を借りにやって来た向かいの住人、リンジーと出会うのだが、リンジーが帰ったあと、スレヴンはさらなる不幸に見舞われることになる。
 対立するふたつのマフィアから、それぞれ身に覚えのない借金の返済を迫られるのだ。片方の「ボス」からは、相手組織のボスである「ラビ」の息子を殺せば借金はなしにしてやろうと持ちかけられ、スレヴンは、否応なしに殺し屋として行動せざるを得なくなるのだが…。
 それと同時に、腕利きの殺し屋として知られる「グッドキャット」もニューヨークに姿を見せ、ふたりのボスの前にも現れる。
 スレヴンとリンジーはお互いに惹かれ合い、検死官であるリンジーもなにか力になれないかと行動するのだが、スレヴンに残された時間は3日間。うまく殺しができたとしても、警察からもマークされている。さらにはグッドキャットの不気味な影もあった。
 映画は、観るものの予測を裏切るどんでん返しがあり、スリリングで目が離せない。何気なく見ていたシーンがあとで繰り返され、「あのときいういうことがあったのか」と驚かされることも。
 映画の中でブルース・ウィルス演じるグッドキャットが「20年かけて準備した計画だ」と語るシーンがあるが、この映画自体が同じように周到に計画され、練り上げられた脚本によって仕上がっている。ユーモアもあり、ロマンスもある、まさに映画という手法を存分に楽しめる作品と言っていいだろう。
 最初から最後まで、何気ないシーンがあとで真相を語ってくるので、細かいところまでよく見ておいて欲しい。あとは巧みなストーリーに騙されるだけだ。映画を観終わって、「面白かった」と思える爽快な作品である。

レディースコミック「微熱」07年3月号掲載/セブン新社刊



2014年9月25日 (木)

涼風家シネマクラブ■リバティーン The Libertine

涼風家シネマクラブ■リバティーン The Libertine

監督/ローレンス・ダンモア
キャスト/ジョニー・デップ、サマンサ・モートン、ジョン・マルコビッチ、ロザムンド・パイク、ほか
2005年/イギリス/110分

 17世紀のイギリスの放蕩貴族、第二代ロチェスター伯爵を、人気俳優ジョニー・デップが迫真の演技で魅せる。
 映画の冒頭、デップ演じる伯爵はこう語りかける。
「諸君はわたしを好きになるまい」
 そう、腐敗と退廃に身を置きながら、その優れた才能で、国王にも愛された放蕩貴族であればこその、自嘲の言葉だ。
 国王や政権を風刺、ときには誹謗するような詩や劇を書き、幽閉されることもたびたび。しかしその都度国王は、すぐに伯爵を解放する。そこには、伯爵の父によって、自分の命を救われたという過去の負い目もあったと思われるが、それ以上に、愛憎が入り交じった、国王自らの、伯爵に対する思いもあっただろう。
 しかし、伯爵はそんな境遇を利用して、放蕩の限りを尽くしていく。
 そんなとき、芝居小屋で見かけたひとりの女優に心を奪われる伯爵。その女優は、観客からブーイングされるほどに演技がままならないのだが、伯爵は磨けば光るものがあると見抜き、彼女を徹底的に指導する。そして見事に一流女優になっていくのだ。これも実在した女優である。
 妻を愛しているのだが、いっしょにいると裏腹な態度をとってしまう伯爵。娼婦の家や酒場、芝居小屋に入り浸る伯爵に愛想を尽かし、田舎に帰ってしまう妻。しかし、そこで伯爵の帰りをじっと待っている。
 やがて国王の依頼を受けて、フランス大使の前で自作の演劇を披露する伯爵は、その内容から国王の怒りを買って、失脚する。と同時に梅毒に冒されていくのだ…。
 絶望の中でも、彼を支える愛人の娼婦と最後まで仕える妻。
 神を信じず、いや冒涜までしていた伯爵が死を前にして、信仰心を持ったのかは定かではないが、その最期は穏やかなものだった。
 タイトルである「リバティーン」は「放蕩者」という意味。
 またデップはシナリオの最初の3行で、出演を決断したとも言う。貴族としての優雅さと、放蕩者の無頼さを融合した演技が見どころだ。

「微熱superデラックス」06年4月号掲載。


2014年9月24日 (水)

涼風家シネマクラブ■ツォツィ

涼風家シネマクラブ■ツォツィ

監督・脚本/ギャヴィン・フッド
キャスト/プレスリー・チュエニハヤエ、テリー・ぺート、ZOLA、ケネス・ンコースィ、ほか。
2005年/イギリス・南アフリカ/95分

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 南アフリカのヨハネスブルク、そのスラムに住んでいる「ツォツィ」と呼ばれる不良少年のリーダーが主人公だ。体は大きいが人のいいなりに動くアープ、人を殺すことをなんとも思っていないブッチャー、「先生」と呼ばれるボストンらとともに行動している。
 しかしある日、ボストンと口論になり、ひとり仲間から離れるツォツィ。行きずりに車を奪い、女性を拳銃で撃ってしまう。そして奪った車の中には赤ん坊がいた。
 赤ん坊を、そのまま車の中に置き去りにしようとするツォツィだったが、泣いている赤ん坊をどうしても置き去りにすることができず、そのまま自宅に連れて帰るのだった。
 仲間たちにも隠し、ひとりで子供の面倒をみるツォツィ。同じくスラムに住んでいる、赤ん坊とふたり暮らしの女性ミリアムを脅して、母乳を飲ませたりもする。ミリアムは赤ん坊を預からせて欲しいとツォツィに願い出る。
 車の強奪、女性への発砲、そして幼児の誘拐で、警察もツォツィを探し始めていた。
 幼いころ、父親の暴力から家を飛び出し、孤児のように暮らし、不良になって人を殺すことにも抵抗がなくなっていたツォツィに、赤ん坊の存在が人としての心を思い出させていくのだ。
 無駄のないエピソードの積み重ねと、映画の雰囲気にマッチした音楽、そして的確に配されたキャスト、ベタと言ってしまえばベタな印象は否めないが、名作とはこういうものなのではないだろうか。実際、2006年のアカデミー賞で「外国語映画賞」を受賞している。
 成り行きで世話をし始めた赤ん坊だったが、ツォツィは自分の子供のような愛情を感じ始める。封印されていた記憶が少しずつ解凍されていき、人として再生していくツォツィの姿を、ぜひ見て欲しい。
 ちなみに「ツォツィ」とは、「不良」を意味する言葉。本当の名前がなんなのか、そのあたりもこの映画を見ていく上で興味深い使われ方をしているので、お忘れなく。

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2014年9月23日 (火)

涼風家シネマクラブ■トリノ、24時からの恋人たち

涼風家シネマクラブ■トリノ、24時からの恋人たち

監督・脚本/ダヴィデ・フェラーリオ
キャスト/ジョルジョ・パゾッティ、フランチェスカ・イナウディ、フォビオ・トロイアーノ、ほか。
2004/イタリア/93分

 ハンバーガーショップで働くアマンダは、恋人のアンジェロと会うことが楽しみ。しかしアンジェロは、アマンダをそれほど大切にしていないような…。また車泥棒というアブナイ仕事をしている。すれ違うふたりだったが、ある日バイト先で、小言を言う店長に、ポテトを揚げる油をかけてしまったアマンダは、警察に追われて、店の近くにあるシネマ・ミュージアムに逃げ込む。そこには無口な夜警、マルティーノがいた。
 マルティーノは毎日のようにハンバーガーを買っていく客で、アマンダも顔は知っていた。そこで、家にも帰れないアマンダは、マルティーノに「泊まらせて欲しい」と頼むのだった。
 マルティーノは、映画の博物館の倉庫を自分の部屋として使い、人と接することなく、趣味の映画を撮るような、大人しい性格。そこに飛び込んできたアマンダによって、少しずつ彼も変化していくのだが…。
 一方アンジェロは、いままでそっけない態度をとっていたにもかかわらず、アマンダがいなくなったことで、自分がいかに彼女を愛していたかを知る。店長を痛めつけ、告訴を取り下げさせ、アマンダが家に帰れるようにしたのはいいのだが、彼女の態度は以前とは違っていた。
 マルティーノも、彼女が去り、自分の気持ちを抑えきれなくなり、アンジェロに直接会うのだが…。アンジェロは「彼女に任せよう」と提案し、アマンダは、「ふたりとも別れない」と宣言。奇妙な三角関係ができあがってしまう。
 映画博物館という舞台もさることながら、マルティーノの気持ちを代弁するように挿入されるサイレント映画の断片など、オシャレで切ない映画だ。
 トリノは、監督が現在住んでいる場所であるとともに、イタリア映画発祥の地でもある。「映画」に対する想いが溢れだすような映像と演出。そして音楽も、ニーノ・ロータなどを思い起こさせる、イタリア映画らしい雰囲気をかもしだしている。映画をキーワードにした、愛の物語です。

「微熱」06年9月号掲載



2014年9月22日 (月)

涼風家シネマクラブ■レッドバルーン

涼風家シネマクラブ■レッドバルーン

監督/ホウ・シャオシェン
キャスト/ジュリエット・ピノシュ、シモン・イテアニュ、ソン・ファン、イポリット・ジラルド、ほか
2007年/フランス/113分

Photo

 フランス、オルセー美術館の開館20周年事業として、美術館が映画制作に全面協力するというプロジェクトがあり、その第一回作品の監督に選ばれたのが台湾のホウ・シャオシェンだった。
 監督は1956年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞した『赤い風船』とその監督ラモレスへのオマージュとして本作を構想。パリに住む母とその幼い男の子、台湾からの留学生でベビーシッターとして雇われたソンを通じて、パリの街や人々を俯瞰(ふかん)していくようなストーリー。そして3人を、いやパリの街や人々を優しく見つめるように、赤い風船がふわふわと画面を漂っていく。
 物語は、ソンがベビーシッターとしてやって来るところから始まる。
 母親のスザンヌは、人形劇団で仕事をしていて、新しい公演を前にして多忙だった。彼女に代わってシモンを学校まで迎えに行き帰宅する途中、ソンは自分が映画の勉強をしていると言い、自分のビデオカメラでシモンを撮影する。このときソンは「『赤い風船』っていう映画、知ってる?」とシモンに問いかけるが、これは監督から映画を見ている人々に対しての問いかけでもあるだろう。パルムドールを受賞しながらさまざまな問題から気軽に鑑賞できない状態が続いていた『赤い風船』は、なかば伝説的に語られていたからだ。
 スザンナは、部屋を貸している友人が家賃を滞納しているとか、離婚した夫の態度とか、日常暮らしていることで起こるさまざまなトラブルにみまわれる。
 そんな都会の生活の中で、ふわふわと漂う赤い風船は、人々のストレスをもふわりと取り除いてくれるように思えてくる。そして青い空に赤い風船は高く漂っていく。いつもどこからかシモンを、パリの人々を見つめているかのように、ゆっくりと。静かな余韻を残しながら。



2014年9月21日 (日)

涼風家シネマクラブ■愛おしき隣人

涼風家シネマクラブ■愛おしき隣人

監督・脚本/ロイ・アンダーソン
キャスト/ジェシカ・ランバーグ、エリック・ベックマン、エリザベート・ヘランダー、ビヨルン・イングランド、ほか
2007/スウェーデン・フランス・デンマーク・ドイツ・ノルウェー・日本/94分

 北欧のとある街の住人たちを見つめるように展開される、ユーモアあふれる映画。登場するのはアル中の女性にその恋人、バンドのギター兼ボーカルのイケメンに彼に恋する少女、精神科医、街角のバー、とどこにでもいるような人々。出演者もオーディションで選ばれたプロもいれば、街でスカウトした素人もいるという感じで、こちらもさまざまであり、どこにでもいるような人々。
 映画を観る前、ドキュメンタリーなのかと思っていたのだが、そうではなく綿密に練り上げられたシナリオに沿って展開するストーリーになっている。
 とはいえ最初にでてきた人物が、いくつかのエピソードのあとにまた登場するという感じで、登場する人それぞれが物語を持ち、さまざまな人生を映画の中で見せてくれているようである。
 そう、人にはそれぞれその人の人生というドラマがあるように、映画の中では登場する人ごとに違う物語があると教えてくれるのだ。それは脚色されたドラマかもしれないが、確かに映画を観るわたしたちそれぞれが同じようにドラマの中にいることを気づかせてくれる。
「夢を見たんだ」とカメラに向かって語りかけてくるシーンが何度かあるが、これは鈴木清順の作品を彷彿とさせる。
 登場する人々がまったくバラバラなのは当然だが、ある瞬間にふとすれ違うように出会ったりもする。
 たまたまその街に居合わせたなんの関係もない人々の、関連性のないエピソードの数々が、全体として大きな物語となりテーマとなっている。個人という最小単位が集まって集団ができ街ができ国ができ上がっているという、わかっていても忘れがちなことを指摘しているのだ。そして国はひとりひとりの国民、個人が集まっているのであって、それぞれに物語が生活がある。
 ラストシーンで街の上空を爆撃機の編隊が飛んで行く。その意味をよく噛みしめてほしい。


2014年9月20日 (土)

涼風家シネマクラブ■イオセリアーニに乾杯

涼風家シネマクラブ■イオセリアーニに乾杯

オタール・イオセリアーニ映画祭

『素敵な歌と船はゆく』『月曜日に乾杯!』の監督、オタール・イオセリアーニの特集上映が、この初夏始まる(注・雑誌掲載当時)。
 今回公開されるのは初監督作品の『四月』に『歌うつぐみがおりました』『蝶採り』『群盗、第7章』の劇場初公開4作品と『素敵な歌と船はゆく』『月曜日に乾杯!』の大ヒット2作。
 イオセリアーニ作品というのは日本ではほとんど知られていなかったのだが、カンヌやベルリン、ヴェネチアといった映画祭では数々の賞をとっており、ヨーロッパを中心に世界的に高い評価を受けているという。あいにく海外に知り合いもいないし、海外における映画事情に詳しい友人もいないのでハッキリしたことはわからないが、作品を観た印象としては日本よりはヨーロッパでウケるというのはうなずける。
 というのもイオセリアーニの演出というのは、多くが群像劇的で、始めから終わりまで決まった主人公を中心に話が進むという形をとらない。決まった主人公がいても、途中で登場する人物にスポットを当て、別のエピソードが語られたりする。ハリウッド的なエンタテインメントとは違うベクトルを持ったこれらの作品は、いきなり見せられるとなにがなんだかわからないという混乱を招くだろうが、逆にイオセリアーニ独特の語り口に慣れてくると「次はなにが起こるのか」と期待してしまう。日本の監督でいえば鈴木清純の作風に近いかもしれない。
 デビュー作『四月』はセリフをほとんど使用せず、効果音と音楽によってストーリーを進行させるという試みがなされ映画としての面白さを改めて感じさせてくれる。もちろん内容的にも物質文明をチクリと批判していているところがイオセリアーニらしい。
 全作品を通じて、音楽、特に歌と美術・骨董が必ず取り上げられていて、画面の美しさということだけでも楽しめるのだが、キャスティングでも自宅の近所に住む知り合いといった素人俳優を起用したり、監督自らが出演したりと複数の作品を見ることで、より監督の世界になじんでいくことができる。これはもちろん作品そのものではなく遊びの部分での楽しみなのだけれど、「あ、またこの人が出演してる」という楽しさがイオセリアーニ作品なのである。
 イオセリアーニ作品にはある種の癒しがある。それを充分に味わってほしい。

「微熱」04年 月号掲載






2014年9月19日 (金)

涼風家シネマクラブ■サンシャイン・クリーニング

涼風家シネマクラブ■サンシャイン・クリーニング

監督/クリスティン・ジェフズ
キャスト/エイミー・アダムス、エミリー・ブラント、アラン・アーキン、ジェイソン・スペヴァック、スティーヴ・ザーン、ほか。
2009年/アメリカ/92分

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 高校のころにはチアリーダーとして活躍したローズ。いまはシングルマザーとして子育てをしながら、不動産取引の資格を取るという目標に向け、ハウスクリーニングの仕事をしていた。高校時代の恋人マックとは、彼がほかの女性と結婚したいまも不倫関係のままズルズル続いている。そんなとき息子のオスカーが特殊学級に入れられそうになり、私立の学校に転校させようと決意することに。
 とはいってもハウスクリーニングの収入では私立校はおぼつかない。そこで警官のマックから事件・事故現場の清掃の仕事を聞き、現場清掃を妹のノラといっしょにはじめることにする。
 妹のノラは仕事が長く続かず…いわゆるニートな存在。母は姉妹が幼いころに亡くなっていて、父はなんともうさんくさい仕事を続けている。
 特殊な仕事だけに収入はよかったが、ハウスクリーニングの延長で作業をしたため、同業者からは素人扱いされてしまうことも。清掃道具などの販売店の店主と親しくなり、特殊な現場での清掃について勉強をはじめるローズとノラ。
 最初は収入だけが目的だったが、いつしか人とのつながり、社会とのつながりを感じるようになり、仕事に誇りを持っていく。かつて高校出は人気者だったチアリーダーの自分が、いまでは同級生たちとは格差がついた生活をしていることにどこか引け目も感じているローズ。新しい仕事に誇りと自信を持つことで、同級生たちが集まる場にも堂々と出て行くことができるのだが…。
 映画自体は地味な印象を与えるかもしれないが、笑いあり涙あり感動ありと、映画やドラマで味わえるほとんどの要素がごっそりつめこまれている。シナリオもよく練られているし監督の演出も的確。そしてなによりも俳優陣の演技がすばらしい作品と言っていいだろう。何も考えずスクリーンを見つめるだけでいい。

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2014年9月18日 (木)

涼風家シネマクラブ■ダック・シーズン TEMPORADA DE PATOS

涼風家シネマクラブ■ダック・シーズン TEMPORADA DE PATOS

監督・脚本/フェルナンド・エインビッケ
キャスト/エンリケ・アレオーラ、ダニエル・ミランダ、ディエゴ・カターニョ、ダニー・ペレア、ほか
2004年/メキシコ/90分

 14歳のフラマは親友のモコとふたりで留守番。戦闘ゲームで盛り上がっていると、同じ階に住む16歳の少女、リタが「オーブンが壊れたので貸してほしい」とやって来る。リタはフラマの家のキッチンでケーキ作りを始めたが、しばらくすると停電になり、電動泡立て器が使えなくなり、しばらく居すわることに。フラマたちは昼食にピザの配達を頼むのだが、届けに来たウリセスという中年男性と、配達時間に11秒遅れた、遅れないで代金を巡ってトラブル。ウリセスもその場に残ることになった。やがて停電が直り、フラマはピザの代金を賭けてウリセスとサッカーゲームで対戦することになる。緊迫の試合展開。延長の末のVゴールで試合が決まる、かと思ったら、またまた停電。偶然から4人の男女が団地の一室で、同じ時間を共有することになるのだが…。
 リタとなんとなくいい雰囲気になるモコだが、じつはフラマにもやもやとした感情を持っている。両親の離婚が決まり、複雑な感情の中、フラマは、代金を巡って対立しているウリセスと、奇妙な友情関係になっていく。やがて停電も回復し、リタはケーキを完成させ、4人はそれをいっしょに味わうのだが…。
 映画がスタートするとともに流れるテーマソングが楽しく、それだけですんなりと映画の世界に入っていけてしまう。また淡々と進んでいたところで、ウリセスが、ピザを届けにバイクを走らせると、突然緊迫した音楽が流れ出したり、絶妙な演出効果で飽きさせることなく見せてしまう。いかにも慣れたように感じさせるが、エインビッケはこれが長編初監督だというのだから驚き。もっとも短編作品では数々の賞を受賞しているという。
 出演者は前述した4人でほとんどなのだが、この4人が自然な演技で観るものを映画の中に取り込んでいってくれるのも心地よい。
 それぞれの内面も、現実もうまく描き出し、観終わったあとには、少しばかり幸せな感じにもなれてしまう、不思議な映画だ。

「微熱superデラックス」06年6月号掲載


2014年9月17日 (水)

涼風家シネマクラブ■ダニエラという女

涼風家シネマクラブ■ダニエラという女

監督/ベルトラン・ブリエ
キャスト/モニカ・ベルッチ、ベルナール・カンパン、ジェラール・ドパルデュー、ジャン=ピエール・ダルッサン、ほか。
2005年/フランス/95分

 娼婦のバーで客を待つ、ダニエラという女。そこにさえないサラリーマン、フランソワがやって来る。彼は宝くじで大金を当てたといい、ダニエラと月10万ユーロでいっしょに暮らす契約を交わす。
 相手が娼婦だとわかっていながら、その美しさに舞い上がるフランソワは、自宅に戻る途中で持病の心臓発作を起こしてしまう。
 なんとか落ち着き、自宅でダニエラとふたりになると、今度は何をしていいのかわからない。まるで彼女の部屋に遊びに来たように、部屋の真ん中に突っ立ったまま、彼女に指示されるままになってしまう。
 そんなふうにふたりの生活は始まったのだった。
 イタリア出身の情熱的なダニエラとの生活は、フランソワを生き生きとさせていった。しかしそれは、友人の主治医から見ると、きわめて危険にも思われた。
 海岸を走り、土砂降りの中、車の中でセックスをしたと聞かされ、フランソワの体を心配する主治医だったが、夜中にダニエラの具合が悪くなったと呼び出されて往診に出向くと、その主治医のほうが倒れてしまい、そのまま息を引き取ってしまうのだった。
 大事な友人を亡くしたばかりか、ダニエラまでフランソワの前から、突然姿を消してしまう。じつはダニエラには、闇の世界に生きる男がついていたのだ。
 男の元に戻ることになったものの、ダニエラの心の中からフランソワを消すことはできない。
 娼婦の純愛を描いたこの映画は、どこかリュック・ベッソンの『アンジェラ』にも通じるような気がしてしまった。そう、娼婦はいつだって天使であるし、天使はいつでも娼婦なのだから。
 またこの映画の魅力として音楽があげられるだろう。イタリア・オペラから選曲された数々のシーンを彩る曲もいいが、冒頭で流れるジャズも印象深い。
「純愛」について考えてみたいと思ったら、迷わず見てみることだ。

「微熱superデラックス」07年12月号掲載



2014年9月15日 (月)

涼風家シネマクラブ■ドン・ジョヴァンニ

涼風家シネマクラブ■ドン・ジョヴァンニ

監督/カルロス・サウラ
キャスト/ロレンツォ・バルドゥッチ、リノ・グワンチャーレ、アミリア・ヴェルジネッリ、トビアス・モレッティ、ほか。
2009年/127分/イタリア・スペイン、イタリア語・ドイツ語

 読者のみなさんはオペラはお好きでしょうか? オペラやクラシック音楽を好んで聴かないという方でもモーツァルトの名前はご存じでしょう。そう「ドン・ジョヴァンニ」はモーツァルトが作曲したオペラのだいめいです。でも、みなさんもご存じの通り、オペラは音楽だけではありません。セリフや歌詞があります。この映画は、モーツァルトとともに「ドン・ジョヴァンニ」を作った劇作家、ダ・ポンテを主人公に、このモーツァルトの代表作とも呼ばれるオペラの誕生を描いたものです。
 ダ・ポンテはヴェネツィアに暮らすユダヤ人でしたが、少年の頃キリスト教に改宗させられます。いったんはそれを拒み洗礼の場から逃げ出しますが、教会の図書館でダンテの『神曲』のベアトリーチェの挿絵を見たことで洗礼を受ける決心をし、神父の道を歩みます。
 しかしあのカサノヴァを師と仰ぎ淫蕩や教会を批判する地下活動にも加わっていたことで、ヴェネツィアを追われウィーンに移ります。そこでカサノヴァの紹介で作曲家サリエリと出会い、その口添えからモーツァルトと組んでオペラの制作をすることになります。
「ドン・ジョヴァンニ」はカサノヴァからアイデアをもらい、それまで作られたものを上回る作品として仕上げようと、ダ・ポンテそしてモーツァルトも、その才能を惜しみなくつぎ込んでいきます。
 またダ・ポンテはヴェネツィアを追われる前に出会った、ベアトリーチェの挿絵の面影を持ったアンネッタと再会することで、これまでの自分の生き方を改めるべきかと悩みます。これらの出来事はそのまま「ドン・ジョヴァンニ」に反映されていき、オペラと現実がシンクロし、愛の物語が展開していくのです。


2014年9月14日 (日)

涼風家シネマクラブ■NARCO・ナルコ

涼風家シネマクラブ■NARCO・ナルコ

監督・脚本・台詞/トリスタン・オリエ、ジル・ルルーシュ
キャスト/ギョーム・カネ、ザブー・ブライトマン、ブノワ・ポールヴールド、ギョーム・ガリエンヌ、ほか
2004年/フランス/105分

 題名の「ナルコ」は、睡眠障害のひとつ「ナルコレプシー」から付けられています。これは1000人にひとりともいわれる発症率の睡眠障害ですが、ストレスを感じると、眠ってしまうというものです。本作の主人公、ギャスも子供のころからこのナルコレプシーの発作を繰り返し、いつでもどこでも、なにか精神的な変化があると眠ってしまいます。そのため定職につくことができず、悶々とした日々を送っているのです。
 けれどギャスはある日、発作で眠っていま時に見る夢を、子供のころからの志望だったコミックにして、作家になろうと決意します。
 もともと絵がうまかったギャス。夢を見るたびに、その内容をコミックしていきます。けれど妻のパムは、そんな夫の行動を理解せず、まさに夢のようなことを考えている、と相手にしません。むしろ普通に働いてほしいと考えるパムは、ギャスの病気を治すためにカウンセリングに通わせるのですが…。
 と、このように説明すると、なんだか暗い映画のようですが、本作はむしろコメディといえるほどテンポもよく、思わずニヤリとしてしまうシーンが盛りだくさんなのです。
 日常のギャスと夢の中でのギャスとのギャップも、戦争映画、アクション映画、SF映画といった雰囲気で映像として楽しませてくれるのもみどころ。個人的には、妻パムが変化していく姿に驚かされました。
 音楽もフランク・シナトラからテンプテーションズ、キンクス、ヴェルベット・アンダーグラウンドなど、ノリのいい楽曲が流れます。
 いまや5人にひとりはなんらかの睡眠障害を抱えているといわれる現在、ナルコレプシーに関しても広く知られるようになってきました。とはいえ発症率の低さから周囲の理解を得にくいのも事実。この映画はナルコレプシーについて広く知ってもらうことも意図していますので、ぜひ映画を見て欲しいと思います。


2014年9月13日 (土)

涼風家シネマクラブ■ハーフェズ/ペルシャの詩

涼風家シネマクラブ■ハーフェズ/ペルシャの詩

監督その他/アボルファルズ・ジャリリ
キャスト/メヒディ・モラディ、麻生久美子、メヒディ・ネガーバン、ほか
2007/イラン・日本/98分

Main

 かつてゲーテにも影響を与えたという古代ペルシャの詩人ハーフェズ。ハーフェズの詩集はイランの人々にも愛されており、その詩にインスパイアされて作られたイラン版「ロミオとジュリエット」が本作『ハーフェズ/ペルシャの詩』なのです。
 コーランの暗唱をするものにハーフェズの称号が与えられるのですが、本作の主人公シャムセディンも、子供の頃からハーフェズを目指し、やがてその称号を得ます。宗教者モフティ師の娘モナートが、母方の故郷チベットからイランに戻ってくることになり、コーランをあまりしらないモナートに音読を教えるため、シャムセディンが指名される。
 それは運命の出会いだったのか、シャムセディンの心には不安がよぎる。そしてモナートの素朴な疑問に詩で答えたことから、詩を介してふたりの心の交流が生まれていくのだが、モナートの父はそれを許さない。
 そんなとき、いとこの結婚式に出席したシャムセディンは宴に酒が出されていたことで罪に問われ、ハーフェズの称号を失ってしまう。またモナートも父の元で修行していたもうひとりのシャムセディンという青年と結婚させられてしまうのだった。
 シャムセディンのそれからの人生とモナートの運命を、映画はさらに描いてゆくので、じっくりと鑑賞してほしい。
 とはいえ、多少構成的にわかりづらい部分もある。途中、主人公であるシャムセディンとモナートの結婚相手のシャムセディンが、ストーリー進行を交代してしまったりするからだ。イラン人の顔の見分けがしっかり出きる人ならそれほど問題ないかもしれないが、そうでない人は「あれ、これは誰?」ってことにもなりかねないので、しっかりと観ていた方がいい。
 また、今回注目されているのが、モナート役の日本人女優、麻生久美子だ。ジャリリ監督からの出演要請を受けて、ペルシャ語、アラビア語のセリフを習得しての出演となった。また監督自身、脚本から衣装まで6役をこなしている。

Sub1

Sub2

Sub3

Sub5



2014年9月12日 (金)

涼風家シネマクラブ■ハッスル!

涼風家シネマクラブ■ハッスル!

監督/アンドレス・ヴォイスブルス
キャスト/アントネーリャ・リオス、ネストル・カンティリャーナ、フアン・パブロ・ミランダ、アニータ・アルバラード、ほか。

Hustle

 チリ映画界のタランティーノとも言われるヴォイスブルス監督の意欲作『ハッスル!』がいよいよ公開される。とはいえ日本においてはあのアニータが映画デビューした作品ということの方が興味を引くかもしれない。もう何か月も前にワイドショーなどでアニータの出演シーンを観たという人も多いだろう。しかしそれだけでこの映画を評価されてしまうとしたら、それは不幸なことだ。
 物語は母を亡くした兄弟シルビオ(カンティリャーナ)とビクトル(パブロ・ミランダ)がサンチアゴに出てきてなんとか暮らしていく中で、兄は弟をきちんと学校に通わせようと、裏社会の仕事をしながらも金を稼ごうと努力する。また弟の誕生日には、男にしてやろうとナイトクラブに連れて行き、アニータ演じる娼婦に、筆下ろしを頼んだりする。ちなみにアニータの出演シーンは、ここだけ。もっともこのシーンは映画の構成上2度登場するのだが、アニータは大きなオッパイを惜しげもなく見せながら17歳の少年を誘惑するが、結局弟はアニータではその気になれず男にはなれないという顛末(日本人にとってはさもありなん、と苦笑いのシーンだろうか)。またそのクラブでセクシーなダンスを踊るグラシア(リオス)に一目惚れし、少年らしい強引とも言えるアタックを開始する。しかしグラシアはクラブのオーナーで裏社会の実力者・パスカルの女であり、彼女は自分の野望のために兄とも関係を持ってしまう。
 最初は弟ビクトルを中心に物語が進み、次に兄シルビオ、そしてグラシアを中心に物語られる。しかも同じ時間をそれぞれの視点で描いていくので、時間経過が行ったり来たりする部分があり、最初は戸惑うかもしれない。
 全体の雰囲気としてはかつてのフランス映画のヌーベルバーグ的な匂いがあって、そこに官能的なシーンが色をそえるといった感じ。シルビオとグラシアの燃え上がるベッドシーンに、パスカルの一方的なセックスはもちろん、映画冒頭でのグラシアのセクシーなダンスも見逃せない。
 アニータの出演や官能シーンばかりが強調され気味の映画だが、実はストーリーもしっかりしているので、単にエッチな映画を見るということではなく、しっかり映画として楽しみつつエッチなシーンも堪能できるという作品だ。
 まだ日本では馴染みの薄いチリ映画だが、この作品がきっかけとなってさまざまな作品が公開されればと思う。その役目をもこの映画は担っているだろう。

「微熱」04年12月号掲載

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